2019年からは日記も個別記事形式でやってみます。従来版とどちらがアクセスされやすいかな?

何故やりたいことをやらないのか

私は日常生活や仕事の中でやりたいことがそれなりにあったりします。日常生活では英単語や文法覚えたいなーとか筋トレしたいなー等など。どういうわけか筋トレは出来るんだけど他のことはどうもやったりやらなかったりでうたた寝やyoutubeやソシャゲに時間を奪われることもしばしば。ちなみに仕事に関しては転職しようと思ってるけど現状を維持してるっていうだけw他にまだやってないけどやってみたいことってのもそれなりにありますわね。私個人的にはプログラミング、特にpythonあたりは始めたら生活が少し豊かになるんじゃないかなって思ってたりします。しかしまだやってない。

理屈はわからないけれど某元メンタリストが言うには先延ばしにしちゃう人は自分を許さない人に多いらしい。何となく言わんとしてることはわかる気もする。先延ばしにする自分を叱責して、始めることに苦手意識が芽生えてまた叱責のスパイラル的な感じなのかな?ついでに先延ばしにする人は寿命が短い傾向にあるそうな。自己否定が過度のストレスを生んでいる状態なんですかね。逆に言えばやりたいことをやるとスッキリしたり気持ちよかったりする。ちなみに私は先延ばしするタイプですが寿命は何となく長そうな気がしていますよ。

で、やりたいことをやらないのってざっくりまとめちゃうとやる前から先のことを考えちゃってるからなのよね。ややネガティブな目線で。私が英語の勉強を面倒くさがるのはおそらく半分無意識にネガティブな未来を予想しているから。英単語覚えてもすぐ忘れるんだよなぁとかそんな感じで。一度覚えた単語は絶対に忘れないっていう保証があったら寝食を忘れて勉強すると思うのねwだのでそういう観点で見ると筋トレが続くのは少なからず筋肉が育つことがわかっているからかもしれない。プログラミング勉強しようかなと思いつつ始めないのも同様に結局プログラミング挫折しちゃいましたっていう未来を垣間見ちゃってるからなわけです。

何故未来を考えてしまうのか

ネガティブな未来を重視してやりたいこと、続けたいことを先延ばしにしてしまう習慣から脱出しなければならない。けれどそもそもどうして未来を見ようとしてしまうのか?それはやはり時間というものに固執し過ぎてしまっているからではなかろうか。己の人生を完璧にしようと思ったら挫折なんぞに時間を費やしてはいけないという意思決定を下しやすいのだろうと思う。特に歳を取れば取るほど時間に固執していくでしょう。しかしこれはおかしな話だ。何らかの糧を得て普通に生きている人達はその糧を得る過程で必ず何らかの失敗や挫折を経験している。そしてその失敗や挫折は必要経費だということもわかっているはずだ。時には失敗して始めて見えるものもあったでしょう。ということは本来は失敗する未来は前に進んでいる輝かしい未来なはずなのに時間的損失を気にし過ぎてしまうあまりただネガティブなだけの未来を想像して萎えてしまうのですよ。

未来というのは不確実性の塊で、仮に何か始めてうまくいっても新たに出来ないものを発見するだけ。いくら私が腕立て伏せの回数を増やしていってもたった1回の片手腕立て伏せが確実に出来る未来はどこにもないのです。

やりたくないこと以外を今やるしかない

結局のところ、やってみたいことはやってみないことにはどんなものかわからないし、続けたいことは続けて始めてわかることがある。無駄かどうかなって無駄になって始めてわかることなので何も考えずに直感で今やることが最良だと私は思う。そのことが分かってるんだからやれ、俺。ただ始めちゃった手前気が進まないんだけど続けてるって感じのものは中には多分もうやりたくないことに変わっちゃってるものもあるので、そういうのはよく見極めて捨てていった方が良いねwそれはもう無駄認定期間をとっくに過ぎてるやつです。

インスピレーション参考リンク

起業なんてカンタンだよ。|これからの「お金」の話をしよう

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